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2017/12/27 CULTURE

インスタグラマー、マツエクサロン社長、フリーランスPR。3人の雇われない生き方を徹底取材

S Cawaii! 編集部

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インスタグラマー:中島絢乃さん

S Cawaの読モとしても活躍していた絢乃ちゃんが、インスタを仕事にステップアップ。

もともと読モとして大学生のときから活躍してたけど、会社員になろうと思わなかったの?

就活するとか考えたことない! 毎日朝早くから満員電車に乗って、出勤とか絶対したくなかった。 読モっていう収入は、不安定だけどギリやっていけんなって(笑)。 給料日の前日に預金残高0円になる生活を大学卒業してから3年間くらいしてた。

フォロワーが増え、 収入につながったキッカケは?

当時インスタは5000人以上、 フォロワーがいる子に企業から、 商品をインスタでPRする仕事が来るシステムだった。 他のインスタグラマーと差をつけないと、 この世界でやれないと思い自分らしさを貫いたよ。 私が好きなガーリーMIXな世界感を、 ブレずに毎日1回以上投稿を続けた。 そしたらフォロワーもついてきて、 1万人超えした2年前から、 仕事の数もギャラも上がっていったの。

お金なくてつらいとか思わなかったの?

私、お金に執着がない。 実家戻ろうとも1回も思わなかった。 だからインスタの案件とかも、やりたくない内容はしないし、 今後自分のためになりそうならノーギャラでも引き受ける。 仕事は自分の今後のためになるかで選んでるの。 もし金欠で途方に暮れそうになったら、 夜のバイトでもなんでもすればよくない?(笑)

ぶっちゃけいまの収入はいくら?

言いたくない!!(笑) インスタのギャラは 1回のPR記事で平均4万円くらい。 最高額は20万円くらいかなー。月収は同年代のOLさんよりは もらってると思う。

自由にやりたいことを 仕事にする代償って?

私の場合、インスタ記事を投稿することが収入につながるから、毎日仕事に追われている感はある。時間の使い方は自由だけど、ずっとスマホをいじるからオンとオフのメリハリがない。しんどいときは、スマホを一日みないで断捨離してる。

絢乃ちゃんにとって 自由に生きるってどういうこと?

マジ安定を捨てる覚悟が必要! 2年前まで金欠で一緒に住んでた妹にも借金してたし、 キャベツ生活とかざらだった。それでも続けているのは 何かに縛られるより、好きなコトをやってたほうが楽しいから。だからいま超自由に生きてるって感じるし、しあわせ♡

マツエクサロン社長:荒木里沙さん

人脈で自由と地位築き上げた美人社長、荒木さん。モデル御用達サロン、アイラッシュクリッ シーのTOPなんです。OLからのぼりつめた成功のモットーが気になります。

社長になる前はどのような仕事を?

フツーのOL。当時は事務の仕事で 雑用が多くて退屈に感じてました……。 本当は美容の仕事に携わりたかったんですよ。 それが全面に出てしまっていたのか(笑)、 小顔サロン「ドーリシア」のプレスを 任されたのが私の人生のターニングポイント。

そこからどうして会社を 立ち上げたいと思ったのですか?

「ドーリシア」の現場にいるうちに、若い子でもキレイに なれる低価格のサロンをつくりたいと思いまして。 そのことを当時の社長に話したら、 「じゃあ会社つくりなよ」って背中を押してくれた。 最初は不安しかなかったし、散々悩みましたが 自分の可能性を信じたくて決断! 無事「ココモ」という会社を設立できました。

そこから順調でした?

設立して1年はとにかく怒濤な毎日。 わからないことだらけだから、女社長の先輩や、自営業の 知り合いなどに頻繁に会い、アドバイスをもらってました。 マツエクサロンを出したかったから、店舗の物件探し、スタッフ集めに追われる日々。  3日寝ないときもあったし、寝ても覚めても会社のことばかり考えてましたね。 ココモ設立後1年でマツエクサロン「アイラッシュクリッシー」も、 2店舗展開までいくことができました。

荒木さんの成功のモットーって?

私ホントにまわりに助けられて、ここまでやってこれていて。 ピンチが訪れても常に誰かを頼れる環境だし、 飲みの場で仲よくなった人から仕事をいただいたりもしました。 成功のモットーは人脈ですね。 そして人脈を広げるうえで大事なことは、出会った人をちゃんと好きになること。 それを意識していたら人脈、そして仕事がどんどん広がっていった。 いろんな人と会い、お互いの話をすることをオススメします!

フリーランスPR:中村麻衣子さん

現在、韓国を拠点にアテンド、PR などの仕事をしている中村さん。 海外で仕事をするヒントを学びましょう。

フリーランスの仕事をしよう と思った経緯は?

アパレルのブランドプレスを8年間していて ブランドの責任者になるという夢が叶ったとき、 会社を辞めて海外に行きたいなーって漠然と思ったんです。 もともと海外旅行が好きで、 社員だと長期間行けないので、 会社を辞めて自由に働けるフリーランスという道を選びました。

Q 海外を拠点にフリーランスになろうと 思ったのはなぜ?

これまで旅行費に車1台分、買えるくらい費やしてたんです。 なので、たくさん行った旅行の経験を生かし、海外で仕事をして、 いままでかけた旅費を取り戻したかったっていうのもありますね(笑)。 しかもその頃、韓国にハマっていて3ヵ月に1回は行ってたので 一番好きな国で仕事がしたかった。 その夢を実現するためにも、何か自分の武器が必要だと思い、 移住前から韓国の市場に通っていました。 市場にある何万店舗のお店の特徴と、仕入れ状況を独学で勉強しました。

いざ韓国に行って大変だったことは?

韓国に行って3ヵ月後にさっそく壁にぶちあたりましたよ! 日本から持ってきた仕事の契約が突然切れたんです。 「これからどうやって生活しよう?」ってすごい落ち込んで、 家にずっとひきこもって……。でも日本に帰る頭はなかったですね。なんとか 前職のつてで、韓国に滞在したままできる仕事を紹介してもらいました。

フリーになって自由に生きてる実感ありますか?

大好きな旅行に行きやすくなったので自由です! 私の人生=トラベル(笑)なので 収入は不安定だけど、この選択に後悔はありません。 いま思うと23才のときは未熟すぎて フリーになる選択はできなかったと思う。 実際行動できたのは、キャリアを積んで経済的に余裕ができたから なのでプレス時代、つらくてもやめなくてよかったなと心底思います。 人脈もそうだし、仕事を次につなげられたのもそのひとつ。 8年間仕事をがんばったから、 自由につながった!と言い切れます。

3人の雇われない生き方はいかがでしたか?会社にしばられないという選択肢を選んだ彼女たちの生き方は、人生の参考にもなりそう。

撮影/藤本孝之 デザイン/橋場友美  構成/森健



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