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2023/5/24 CULTURE

専業主婦になりたかった私が年間売上50億の実業家になるまで(前編)│住谷杏奈

S Cawaii! 編集部

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住谷杏奈さん

取材・構成/岩淵美樹、撮影/楠本隆貴(WILL CREATIVE)、ヘアメイク/山口理沙(+nine)



ネットニュースではよく目にするけれど、住谷杏奈とは一体何者なのか? 
タレント? プロデューサー? 経営者?
「芸人の嫁」としてスポットライトを浴びているわけではなく、彼女自身がプロデュースした商品の年間売上で約50億円も稼ぎ出す実業家であることを知っている人はどれだけいるでしょうか。

これまでプロデュースした全商品の総売上額は、500億円といわれています。グラビアアイドルから、専業主婦、ママタレントそして実業家へと生き方をアップデートしてきた住谷杏奈。
過去にとらわれず、人のせいにせず、思い立ったら即行動が彼女のモットー。

価値観の多様化、これまでの常識を覆す出来事の数々。不確かな時代をサバイブするためのヒントが、彼女の生き方にはあったのです。
自分自身の市場価値を高め、成功を勝ち取るための秘訣を紐解いていきます。


人生のリセットは意外と簡単なもの

 はじめまして。住谷杏奈です。現在、中学3年生の息子、小学6年生の娘の母であり、実業家、タレントとして活動しています。
 芸能界には子役から入り、中高生の頃はギャル雑誌のモデル、18歳からは売れないグラビアアイドルをやっていました。結婚を機に芸能界を引退しましたが、再びママタレントとしてメディアに出たりもしました。今はタレントの仕事はセーブし、自分のブランドで美容商品を開発したり、ビューティーサロンを経営したり、実業家として講演会や企業のコンサルティングなどを精力的に行っています。

 最近、私を知ってくださった方は、レイザーラモンHGの嫁って プロデュース業で儲けてるって よくネットニュースに流れてくるけど、実際何してる人なの? という方も多いと思うので、自己紹介も兼ねて 私のことを簡単にお話ししたいと思います。

 みなさんは、人生をやり直したいと思ったことがありますか?
 そして、やり直せると思いますか?

 赤ちゃんからやり直すことは無理だけれど、人っていつからでもやり直せるというか、リセットボタンを自分で押すだけで 簡単に人生をリセットできるものだと思ってきました。それはまさに私の人生がリセットの連続だったからです。 

 大きな転機は、結婚のタイミングでした。結婚前までグラビアアイドルとして活動していたのですが、胸を張って言える仕事はなにひとつありませんでした。「私は何をやってるんだろう」と日々悶々としていました。代表作も知名度もないので、会う人会う人に「なんの仕事をしている人なの?」ときかれても、堂々と「タレントです。芸能人です」なんて言えるはずもなく、「フ、フ、フリーターです」と答えていました。当たり前のことですが、本当の芸能人は自分で芸能人やってますなんて言わなくても、他人から認識されているもの(笑)。芸能人に限らず、肩書って相手が決めることというか、他人に「●●の人」と認識されてこそ名乗れるものだと思っています。 

 自分を俯瞰で見てグラビアアイドルとして売れる未来が1ミリも見えなかったので、当時の私は早く仕事を辞めて専業主婦になりたかったのです。専業主婦という響きに憧れていました。弱冠20歳、単純ですよね(笑)。そのときにお付き合いをはじめたのが、後に夫となる、大ブレイク直前のレイザーラモンHGでした。それまでの私の恋愛パターンは、自分から追いかけたいタイプだったのですが、そんな恋愛は1度もうまくいった試しがなく(笑)、 幸せを感じることは皆無でした。たくさん傷ついた結果、次に恋愛するとしたら今までとは真逆の“相手に追いかけられるような恋愛”をしたら幸せになれるんじゃないか!追いかけてくれる人と恋愛してみよう!と意気込んでいた矢先に出会いました!

 夫には悪いですが、最初は本当に興味がなく……(笑)。でも、積極的にアプローチしてきてくれていたので、あ!この人は今までとは真逆で追いかけてくれる系かも!自分が生まれ変われるチャンスかも!人生リセットできるかも!この人との恋愛にチャレンジしてみよう!と思って、恐る恐る付き合いはじめてみたら、とても居心地がよく、毎日が楽しかったので、すぐに結婚しちゃいました(笑)。自分の理想、タイプに固執せず、スパッと考え方を180度変えたことで、今までの地獄のような恋愛から抜け出せてとても幸せな人生に変われたんです。

 反省はするけれど、過去にとらわれないというか、嫌なことがあると未練なくきっぱりと物事を忘れられる私。人間関係も含めてすぐにリセットできてしまう。なんでだろうと考えてみたのですが、父が転勤族だったので、子どもの頃から2~3年単位であちこちいろいろな土地に引越しをしていたんです。小学校は3回転校していて、中学校も3回転校しています。それで順応力が身につき、人間関係がうまくいかなくても転校と同時に全てリセットし、新しい土地でまたイチから新しい自分になれることを知ったのかなと思います。

 肉体的な死が訪れてしまったらそれで終わりだけど、心が死んでもイチからスタートできることを子どもの頃から体験してきたので、ちょっとの失敗ではへこたれないし、その失敗を糧に新たなスタートを切れる喜びや楽しさも知っているのが、私の強みかもしれません。 

 今、実業家として成果を出せているのも、過去にとらわれず、常に頭をアップデートさせて、スピーディに行動してきたからだと思っています。
 

夫の収入が激減! 思わぬアクシデントが実業家への第一歩に

 小さな頃から憧れていた悠々自適の専業主婦から実業家への道へと踏み込んだのは、夫がプロレスで大ケガをして休業せざるを得なくなり、今まで十分にいただいていたお給料が月7,000円にまで激減した事がきっかけです。郊外に引越して生活レベルを下げればなんとか暮らしてはいけたけれど、夫も30代でまだまだこれからの時期だったので「これで終わりじゃないよ!!」という激励の意味もこめて、私が働いて今の生活レベルを守ろうと決断しました。

 息子がちょうど1歳になったばかりの頃の突然の出来事だったので、金銭面でまったく不安じゃなかったと言えば嘘になりますが、入院している夫に悩んでいる顔は絶対に見せたくなかったので、とりあえず何をするかどんな仕事をするか、毎日毎日いろんな人に相談しました。話を聞いて切羽詰まった事情を知った友人が、うちの会社に来れば?と仕事を紹介してくれたりもしましたが、1歳の子どもを預けて定時の仕事に出るというのは、当時の私には選択できませんでした。家にいながらでもできる仕事はないかと考えるようになり、思いついたのが商品 を作って販売するということでした。

 当時、タレントを引退し専業主婦をしていましたが、ブログだけはやっていました。まだSNSが主流ではない時代だったので、ブログ人口も少なかったんですよね。その頃ブログをやっていた芸能人といえば、私の記憶ではともさかりえさんと酒井若菜さんがアメブロランキングの上位常連だった気がします。お二人のブログが大好きでよく読ませていただいていた中で、ともさかさんのブログには手作りの美味しそうなお料理の写真がよく載っていました。専業主婦だった私は料理のブログを見るのがとても参考になっていたので、私も撮りためていた料理の写真をアップするようになりました。すると、愛読していたともさかさんや酒井さんたちのブログと並んで、私のブログもランキング上位に入っちゃったんです(笑)。これも本当にブログを始めるタイミングが早かったから運良く、という感じで。

 ランキング上位の常連になると、企業からイベントに出演してもらえませんか?私たちの商品をブログに掲載してPRしていただけませんか? 出版社から、この雑誌のこの特集に出ていただけませんか?とお声がかかるようになりました。今はブロガー、インスタグラマー、インフルエンサーと名前がつき職業のようになっていますが、当時ブログでお金がもらえるということはあまり知られていませんでした。「専業主婦の私でも家にいながらお金を稼ぐことができるんだ」と、正直驚きました。

 もうその当時はプライベート全てがブログ中心というか、どこに行っても何をするにもブログ用の写真を撮っていた気がします(笑)。ブログのアクセス数を稼ぐ為に1日に何回も記事をアップしたりしてプライベートを切り売りしていました。そのおかげで商品紹介の依頼もどんどん舞い込むようになり、そのブログで紹介した商品の売れ行きが上がったという報告をよくいただくようになり、たった1記事で車を買えるくらいの大金を手にしたこともありました。その当時のことを私は「ブログバブル期」と呼んでいました。名前の通りこれはバブルで、絶対に長くは続かないだろうと確信していました。

 今では当たり前になっていますが、当時は「ブログで稼いでいます!」とは声を大にして言えない時代だったからこそ、なにか胸を張って言えるビジネスをしたいと思い、ブログでの知名度や、学生の頃からコスメオタクで様々な化粧品を自分の肌で使ってきたことや、モノの良し悪しを見抜ける力があったことで、家計がピンチのときに思い切って商品プロデュースに踏み出せたんだと思います。 

 最初に作ったのが、食べられる野菜エキスを配合した、子どもも安心して使える固形石鹸でした。自分が使いたいものをイチから考え、生産してくれる工場を自分で探して、電話をかけまくり、サンプルを試しては修正、試しては修正を何回も繰り返し、処方が決まったら価格交渉も自分でやりました。化粧品を作る知識なんてひとつもなかったけれど、実際化粧品を買うときには裏面の成分表示ばかり見ていたコスメオタクだったので、「このアロマとあのアロマを足したような香りにしたい」「こんな泡立ちがほしいけど界面活性剤は使いたくない」「この美容成分をなるべくたくさん入れたい」と、どんな物を作りたいかをはっきりと明確に工場に伝えられたのです。夫が入院中で仕事ができずに落ち込んでいたので、絵が得意ということを活かし病院のベッドの上でパッケージのイラストを描いてもらいました。夫にとって怪我後の初仕事で、私にとって初めての自分のオリジナル商品。すべてにこだわって作ったので、製品となってお店に並んだ時は涙が出るほどうれしかったですね。

 私の奮闘ブログを読んで応援してくださっていた大勢のファンの方々がこの石鹸を買ってくださり、あっという間に即完売。作った商品が売れるという喜びをここで初めて知るのです。好奇心旺盛な性格の私は、同じものをリピート生産して長く売っていくというビジネスモデルより、常に新しい商品を作っていきたい!と考え、はい、次の商品!はい!次の商品!と、頭をリセットし、次々と商品を出していくことになるのです。

 石鹸作りから私のプロデュース業が本格化していくのですが、決して順風満帆ではありませんでした。
 この続きは、また次回に……。


PROFILE
住谷杏奈(すみたに・あんな)
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1983年2月1日生まれ。2006年にお笑いタレント・レイザーラモンHGさんと結婚し、2008年に男児、2011年に女児を出産。夫のケガを機に商品開発をはじめ、実業家としての才能も開花。美容の知識を活かしたプロデュース商品で次々とヒットを生み出す。現在は、実業家、タレントとして活動。




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住谷杏奈